渋谷系IT企業とソーシャルゲームブームの系譜

1990年代末の渋谷に集まったインターネットベンチャーは、なぜ2010年代以降の世界的なモバイルゲーム産業の土台になったのか。資本構造の話から、アイマス・ウマ娘・ポケポケまでを一本の線でつなぎます。

日本のインターネットブームを「支えていたもの」

1990年代末から2000年代前半にかけての日本のインターネットブームは、しばしば 「日本版シリコンバレー」という比喩で語られます。しかし実際の構造を見ると、 アメリカの同時期のベンチャーエコシステムとは、資金の出どころも、成長の道筋も、 かなり違うものでした。まずそこを整理しておくと、その後の展開が理解しやすくなります。

1. 資本の出どころが「独立系VC」ではなかった

アメリカのインターネットバブル期を駆動したのは、年金基金や大学基金などを リミテッド・パートナーとして資金を集める独立系ベンチャーキャピタルでした。 対して日本のベンチャーキャピタルは、1980年代の第二次ベンチャーブーム以降、 銀行系・証券系、つまり大手金融機関が系列子会社として設立したVCが 主流を占めていました。日本最大手のジャフコ(野村證券系として発足)や、大和証券系の 日本インベストメント・ファイナンス(NIF)などが代表例です。

この違いは、投資行動の性格を決めます。系列VCの資金は最終的に親金融機関の バランスシートや顧客資金につながっており、日本の企業金融がそもそも間接金融 (銀行借入)中心だったこととあいまって、投資判断は相対的に保守的になりがちでした。 「10社中9社が潰れても1社が100倍になればよい」という、アメリカ型VCの パワーロー前提の投資哲学が、そのまま日本で機能していたわけではありません。

2. 事業会社がインキュベーターを兼ねていた

代わりに日本のインターネット第一波で大きな役割を果たしたのが、事業会社そのものでした。 その象徴がソフトバンクです。同社は1995年11月に創業まもない米Yahoo!の株式5%を約2億円で取得し、 1996年4月には追加出資で保有比率を37%台まで引き上げて筆頭株主となりました。同じ1996年に 米Yahoo!との合弁で日本法人のヤフー株式会社を設立し、国内向けポータル「Yahoo! JAPAN」を 立ち上げています。これは「投資」と「合弁による事業立ち上げ」が一体化した動きであり、 純粋な財務投資家としてのVCとは性格が異なります。

同様に、総合商社や大手通信・メーカー各社も、この時期にインターネット関連企業への出資や ジョイントベンチャー設立を積極的に行いました。日本のネットベンチャーにとって、 資本と同時に取引先・与信・人材・販路を供給してくれる既存大企業の存在は、 独立系VCの不在をある程度補う仕組みとして機能しました。逆に言えば、スタートアップの 独立性という点ではアメリカ型と条件が違ったということでもあります。

3. マザーズという「早い出口」

もう一つの決定的な要素が、東証マザーズです。東京証券取引所は 1999年11月11日に、新興企業向けの新市場としてマザーズ (Market of the high-growth and emerging stocks)の開設を発表しました。同年12月22日から 取引が開始され、第1号としてインターネット総合研究所とリキッドオーディオ・ジャパンの 2社が上場しています。

マザーズの本質は上場基準の緩さにありました。設立間もない企業や、 まだ利益が出ていない赤字企業であっても、成長性を示せれば上場できる。これは 東証一部・二部の従来基準とは根本的に違う設計でした。結果として日本のネットベンチャーには、 「創業から数年で新興市場に上場し、そこで資金を調達して事業を育てる」 という、アメリカの「大型VCラウンドを何度も重ねて非公開のまま大きくなる」パターンとは 異なる標準経路が生まれます。この経路の存在が、後述する渋谷の各社の成長速度を大きく規定しました。

4. ビジネスモデルがポータル・EC偏重だった

第一波の日本のネット企業が選んだ事業領域も、アメリカに比べて幅が狭いものでした。 中心にあったのはポータル(広告)と電子商取引です。Yahoo! JAPAN、楽天、 オークション、ネット広告代理業といった、「集客して広告を売る」「場を作って手数料を取る」 という2つの型に集中していました。アメリカの同時期にはインフラ、エンタープライズソフトウェア、 検索技術、決済、ネットワーク機器など、より広いレイヤーに同時多発的に企業が生まれており、 この幅の違いは後年の産業構造の差にもつながっていきます。

ビットバレー — 渋谷系ITベンチャーの成立

この状況下で、東京・渋谷に物理的にIT企業が集積する現象が起きます。呼称の由来は、 1998年にネットエイジ代表(当時)の西川潔氏が提唱した「ビターバレー(Bitter Valley)構想」です。 「渋い(bitter)」「谷(valley)」という渋谷の直訳に、データの最小単位である bit を掛けて「ビットバレー(Bit Valley)」と呼ばれるようになりました。 シリコンバレーを意識した名称であることは明らかです。

ビットバレーは正式な組織というより、起業家同士の交流イベントとメーリングリストを軸にした ゆるやかなムーブメントでした。1999年のピーク時には、渋谷のイベント会場に数百人から 千人規模の参加者が集まる交流会が開かれています。ここから、今日まで残る主要企業の 経営者たちが輩出されました。以下、代表的な3社を見ていきます。

サイバーエージェント(1998年創業)

藤田晋氏が1998年3月18日に創業。初期の事業はインターネット広告の 代理業でした。自社でメディアを持たず、他社のWebサイトの広告枠を 仕入れて広告主に売る、という労働集約的なビジネスから始まっています。当時のネット広告市場は 黎明期で、営業力で立ち上げられる領域でした。

そして2000年3月、創業からわずか2年で東証マザーズに上場します。 藤田氏は当時26歳で、史上最年少の上場企業社長となりました。これはまさに、前節で述べた 「マザーズという早い出口」が日本のネットベンチャーの成長経路を規定した典型例です。 その後、広告代理業という受託型モデルから自社サービスへの転換を図り、 2004年にブログサービス「アメーバブログ(Ameba)」を開始。ここで初めて 自社メディア・自社プラットフォームを持つ会社になりました。

ゲームへの本格参入は2010年代です。2011年5月、シリコンスタジオ出身の 渡邊耕一氏が、サイバーエージェントの出資を受けてCygamesを設立。 創業からわずか4か月後の2011年9月に第1弾タイトル『神撃のバハムート』をリリースしました。 この会社が、後述する『ウマ娘』を作ることになります。

DeNA(1999年創業)

マッキンゼー出身の南場智子氏が1999年3月に有限会社ディー・エヌ・エーとして設立。 同年11月にインターネットオークションサイト「ビッダーズ(Bidders)」を 開始しました。つまり創業事業はゲームではなくEC/オークションであり、 これは前節で述べた「日本の第一波はポータル・EC偏重」という傾向にきれいに当てはまります。 ビッダーズはオークション機能を提携サイトに提供するモデルなどを通じて、 Yahoo!オークションに次ぐ国内2番手の規模まで成長しました。

転機はモバイルです。2004年に携帯電話向けオークション「モバオク」を開始し、 これが国内最大級のケータイオークションに成長。2005年2月に東証マザーズへ上場します。 そして2006年2月、携帯電話向けのゲーム付きSNS「モバゲータウン」を 開始しました。これが中高生を中心に爆発的に普及し、サービス開始から約15か月で 登録会員数500万人に到達しています。EC企業が、ここでゲームプラットフォーム企業へと 軸足を移していきました。

GMOインターネットグループ(源流は1991年)

3社のうち最も出自が古く、そして最もゲームから遠い会社です。熊谷正寿氏が 1991年5月に設立した「ボイスメディア」が源流で、当初はダイヤルQ2を使った 音声コンテンツ配信と関連機器販売を行っていました。1995年11月に 「インターキュー株式会社」へ商号変更してインターネット事業へ転換し、 1999年8月には独立系ネットベンチャーとしては国内初のJASDAQ上場を 果たしています。2001年4月に「グローバルメディアオンライン(GMO)」へ社名変更しました。

GMOが選んだのは、ドメイン登録・レンタルサーバ・SSL証明書・決済といった インターネットのインフラ層でした。1999年に開始した「ディスカウントドメイン ドットコム」が、現在の「お名前.com」の前身にあたります。後年は証券・FX・暗号資産といった 金融領域にも展開しています。同じビットバレーの出身でありながら、コンシューマ向けの コンテンツではなく、他社のネット事業が乗るための土台を売る方向に進んだ点が対照的で、 渋谷の集積が単一のビジネスモデルに収斂していたわけではないことを示しています。

ガチャという収益モデルの成立

2000年代後半、日本のモバイルインターネットには世界的にも特異な条件が揃っていました。 フィーチャーフォン(いわゆるガラケー)が高度に発達し、キャリア課金という クレジットカードを持たない未成年でも少額決済ができる仕組みが 全国的に普及していたのです。この上に成立したのが、ブラウザベースの ソーシャルゲームでした。

DeNAのモバゲータウンと並ぶもう一方の極がGREE(グリー)です。 田中良和氏が2004年2月に個人の趣味として立ち上げたSNSが出発点で、 2007年5月にモバイルソーシャルゲーム『釣り★スタ』を公開。 2008年12月17日に東証マザーズへ上場しました。DeNA側も 2009年10月に『怪盗ロワイヤル』を投入して大ヒットさせています。

構造的に重要なのは、両社がこの時期にプラットフォーム化したことです。 DeNAは2010年1月にモバゲータウンを外部開発者に開放するオープンプラットフォーム化を 実施し、2011年3月28日にサービス名を「Mobage」へ改称しました。 つまり、自社でゲームを作る会社から、他社製ゲームが載る場所と課金基盤を提供する会社へ 変わったわけです。2000年代のEC/オークション事業で培った「場を提供して手数料を取る」 というモデルが、そのままゲーム領域に移植されたと見ることもできます。

そしてこの上で確立したのがガチャです。実物のカプセルトイ(ガチャガチャ)を 語源とし、有料でランダムにアイテムやキャラクターカードが排出される仕組みを指します。 従来の買い切り型ゲームと決定的に違うのは、コンテンツの価格が固定されず、 個々のユーザーが支払う金額に上限がない点です。基本プレイ無料で参入障壁を下げ、 少数の重課金ユーザーが売上の大半を支える収益構造が、ここで確立しました。

公平のための注記: ガチャは商業的成功のモデルであると同時に、 継続的に批判と規制の対象にもなってきた仕組みです。特に、複数のカードを揃えると レアアイテムが得られる「コンプガチャ」については、消費者庁が 2012年5月18日に景品表示法上問題があるとの見解を公表し、同年7月1日から 規制が適用されました。GREEとDeNAは同年5月にコンプガチャの廃止を表明しています。 現在は業界団体であるCESAやJOGAのガイドラインにより、有料ガチャの 排出確率の表示などが自主規制として定められていますが、 射幸性や未成年の高額課金、依存性をめぐる議論は現在も続いています。 本記事は産業史としてこのモデルの影響力を扱うものであり、その是非を評価するものではありません。

3つのケース — IPとガチャの組み合わせ

ガチャモデルが10年以上にわたって大型ヒットを生み続けている理由は、単にモデルが 強力だったからだけではありません。日本の場合、そこに既存IPの資産価値が 組み合わさっています。以下の3例は、その組み合わせがどう機能したかをよく示しています。

『アイドルマスター』 — アーケードから始まった20年

初代『THE IDOLM@STER』は、ナムコ(現バンダイナムコエンターテインメント)による 2005年7月26日稼働開始のアーケードゲームでした。 2001年10月に開発が始まり、当時としては前例のないアイドルプロデュース型のゲームとして 長い開発期間を経て世に出ています。つまり出発点は、ガチャどころか ゲームセンターの筐体だったわけです。

このIPがモバイルへ展開したのが2010年代です。2011年11月28日、 バンダイナムコとCygamesの共同開発により、DeNAのMobage上で 『アイドルマスター シンデレラガールズ』(通称モバマス)が開始されました。 ゲームシステムはカードバトル型に一新され、キャラクターカードをガチャで集める形式です。 同作は2023年3月30日のサービス終了まで11年間続きました。

以降、2013年にGREE上で『ミリオンライブ!』、2014年に 男性アイドルを扱う『SideM』、2018年にブラウザプラットフォーム「enza」上で 『シャイニーカラーズ』と、プラットフォームを変えながらブランドが分岐・拡張していきました。 ここで注目すべきは、旧来型ゲーム会社(バンダイナムコ)のIPが、渋谷系IT企業の プラットフォーム(Mobage)と開発力(Cygames)を経由してモバイル化したという点です。 IPホルダーとプラットフォーマーの分業が、この時期に成立しています。

『ウマ娘 プリティーダービー』 — 5年の難産と大成功

Cygamesの『ウマ娘 プリティーダービー』は、実在の競走馬を擬人化したキャラクターを 育成するゲームです。プロジェクトが最初に公開されたのは2016年3月26日の AnimeJapan 2016で、同年8月のCygames NEXT 2016で詳細が発表されました。 当初のゲーム配信予定は2018年冬でしたが、品質向上を理由に延期され、 その後も複数回の延期を重ねています。最終的なリリースは 2021年2月24日で、最初の発表から約5年が経過していました。 ゲーム業界では長期の開発延期はネガティブな兆候と見られることが多く、 実際に当時は「本当に出るのか」という見方もありました。

結果は逆でした。リリース直後から国内モバイルゲーム売上ランキングの首位を独走し、 2021年の年間売上は約1,000億円規模に達したと報じられています。 Cygamesの2021年9月期決算は売上高2,221億円(前期比約101%増)、経常利益907億円 (同273%増)と、同作がけん引する形で急拡大しました。親会社であるサイバーエージェントの ゲーム事業も過去最高の売上高を記録しています。2024年5月時点では、 世界累計収益が約3,790億円を突破したと報じられました。

この事例が示すのは、ガチャモデルが「安く早く作って回収する」ためだけの仕組みでは 必ずしもないということです。運営型ゲームは長期の継続課金を前提とするため、 初期の作り込みに5年をかけても回収できる構造がありました。また、日本の競馬という 既存の文化資産・史実データをキャラクター化するという設計は、新規IPでありながら 既存の物語の蓄積を借りるという、ハイブリッドなIP戦略でもあります。

『Pokémon Trading Card Game Pocket』(ポケポケ) — DeNAの帰還

そして直近の事例が、通称「ポケポケ」です。ポケモンカードゲームをスマートフォン向けに 再設計したアプリで、2024年10月30日にiOS/Android向けに世界同時配信 されました(2024年9月26日にニュージーランドで先行配信)。

開発クレジットは株式会社クリーチャーズとDeNA、パブリッシャーは 株式会社ポケモン(The Pokémon Company)です。ここでDeNAが 再び登場することが、本記事の主題そのものです。1999年にオークションサイトから始まり、 2006年にモバゲータウンでソーシャルゲームプラットフォームを作った会社が、 2024年には世界最大級のIPのモバイルアプリ開発・運営を担っている、という系譜です。

商業的な結果も極めて大きいものでした。配信初日に約200万ダウンロード・約270万ドルの売上、 配信から17日で1億ドル、初月で約2億ドル、10週間で約4億ドルに達したと報じられています。 2025年2月時点で累計1億ダウンロード超・累計売上5億ドル超とされ、 『Pokémon GO』のローンチ月売上を大きく上回りました。この影響でDeNAの利益が 前年同期比で桁違いに増加したことも報じられています。

一方で、実物のカードゲームをデジタル化するにあたり、パックを開封する体験を 中核に据えた設計は、カードの排出がそのままガチャであることを意味します。 レビューでは収集体験やアクセシビリティが高く評価される一方、ガチャ要素や パック開封の回数制限(待ち時間)については批判も寄せられました。

系譜をつなぐ — 何が起きていたのか

以上を一本の線として見ると、次のような構造が見えてきます。

第一に、渋谷のネットベンチャーは「ゲーム会社」として始まっていません。 サイバーエージェントは広告代理業、DeNAはオークション、GMOは音声情報サービスから インターネットインフラへ。いずれもゲームとは無関係の出自です。彼らが持っていたのは、 Webのトラフィックを集める技術そこから課金する仕組みで あって、ゲーム制作のノウハウではありませんでした。

第二に、フィーチャーフォンという日本固有の環境が、その2つの資産をゲームに接続しました。 キャリア課金という決済インフラと、常時携帯される端末。この上に「場」を作れば、 彼らが既に持っている能力がそのまま使えます。DeNAが2010年にMobageをオープン化したのは、 自社がゲームを作るのではなくプラットフォーマーとして振る舞うという、 極めて自然な選択でした。

第三に、そこへ既存のIPが流れ込みました。『アイドルマスター』のような 旧来型ゲーム会社のIPも、競馬という文化資産も、ポケモンカードという世界的IPも、 すべて渋谷系企業が用意したプラットフォームと開発・運営の体制の上に乗りました。 強いIP × ガチャ収益モデルという組み合わせが、2011年のモバマスから 2021年のウマ娘、2024年のポケポケまで、10年以上にわたって大型ヒットを生み続けています。

そして最後に、冒頭の資本構造の話に戻ります。日本のインターネットベンチャーは、 独立系VCの大型資金ではなく、事業会社の出資とマザーズという早い上場で 育ちました。これはシリコンバレー型と比べて「劣った」仕組みというより、 異なる制約条件のもとで機能した別の仕組みです。そして結果として、 日本のゲームコンテンツ市場は2024年に約2兆3,961億円(ファミ通ゲーム白書2025)、 うちモバイル領域は世界でも有数の規模を保ち、日本発のモバイルゲームは 主要な輸出コンテンツの一つとなっています。

つまり、シリコンバレーとは違う資本構造から出発した日本のネットベンチャーが、 シリコンバレーには生まれなかったタイプの産業(キャラクターIP × ガチャ運営型モバイルゲーム)を 育てた、というのがこの系譜の全体像です。渋谷のビットバレーが「日本版シリコンバレーに なれたか」という問いの立て方自体が、おそらく的を外していたのでしょう。

まとめ

  • 1990年代末の日本のネットベンチャーは、独立系VCではなく銀行系・証券系VCと事業会社(ソフトバンク等)の出資に支えられていた
  • 1999年11月開設の東証マザーズが「創業数年での上場」という、米国とは異なる標準的成長経路を作った
  • 渋谷の「ビットバレー」(1998年、西川潔氏の「ビターバレー構想」が語源)からサイバーエージェント(1998年)・DeNA(1999年)・GMO(源流1991年)が育った
  • 3社ともゲーム会社としては始まっておらず、広告・EC・インフラという別の出自を持つ
  • フィーチャーフォンのキャリア課金がガチャ課金を可能にし、Mobage(2010年オープン化)とGREEがプラットフォーム層を押さえた
  • コンプガチャは2012年5月に消費者庁が景品表示法上問題ありと判断し、現在は業界団体の自主規制で排出確率表示等が行われている
  • アイマス(2005年アーケード→2011年モバマス)、ウマ娘(2016年発表→2021年配信)、ポケポケ(2024年、クリーチャーズ+DeNA開発)が、強いIPとガチャの組み合わせの持続性を示している
  • DeNAは2000年代のプラットフォーム提供者から2020年代の大型IPの開発・運営者へと、この系譜を一貫して貫いている

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