BTC・ステーブルコインを取り巻く環境の危険性とは?ハッシュ関数の歴史とスノーデン告発から考える
暗号資産の価値を支えているのは、結局のところハッシュ関数と署名アルゴリズムという地味な暗号技術です。その技術がどう疑われ、どう破られてきたかの歴史を知らずに投機を続けることは、思っている以上にリスクの高い行為ではないでしょうか。
ハッシュ関数が「解読される」とはどういうことか
暗号学的ハッシュ関数は、任意のデータを固定長の値(ハッシュ値)に圧縮する一方向関数で、 「異なる入力から同じハッシュ値が生まれること(衝突)は現実的に起こらない」という前提の上に 様々な暗号技術が組み立てられています。この前提が崩れると、電子署名やブロックチェーンの 整合性など、その上に乗っているもの全体が揺らぎます。
この前提は、実際に何度も崩れてきました。2004年、王小雲氏らの研究チームが MD5の実用的な衝突を発見し、2005年には同チームがSHA-1についても 理論的な弱点(総当たりで2^80回必要だった計算量を2^69回程度まで低減)を報告しました。 そして2017年、GoogleとCWIアムステルダムの研究チームが、実際に異なる内容のPDFファイルが 同一のSHA-1ハッシュ値を持つ、実用可能な衝突攻撃(通称SHAttered)を公開しました。 NISTはこれに先立つ2011年からSHA-1の電子署名用途での使用を段階的に非推奨とし、 主要ブラウザも2017年前後にSHA-1証明書のサポートを終了しています。
重要なのは、「安全」とされてきたアルゴリズムが、数十年の時間の中で次々と 弱点を指摘され、置き換えられてきたという事実です。暗号アルゴリズムの安全性は 永久に保証された性質ではなく、計算能力の向上と暗号解読研究の進展によって、 常に見直しを迫られる暫定的なものです。
ビットコインが実際に使っている暗号技術
ここで一つ、技術的に正確にしておきたい点があります。ビットコインは SHA-1を使っていません。マイニングの計算(プルーフ・オブ・ワーク)には SHA-256(SHA-1より新しく、現時点で実用的な衝突は報告されていない別系統のアルゴリズム)が 二重に適用され、アドレスの生成にはSHA-256とRIPEMD-160が組み合わされます。 そして送金の署名には、楕円曲線secp256k1上のECDSA (楕円曲線デジタル署名アルゴリズム)が使われています。
つまり、SHA-1が解読された経緯そのものが「ビットコインが今すぐ危険だ」という結論に 直結するわけではありません。ここで持ち帰るべき教訓は個別のアルゴリズムの話ではなく、 「今使われている暗号技術も、将来同じ運命をたどる可能性がある」という 一般的な姿勢の方です。楕円曲線暗号についても、量子コンピュータによる 脅威(ショアのアルゴリズム)が理論的に指摘されており、詳しくは 別記事で解説しています。
スノーデン告発が暗号業界に残したもの
2013年、エドワード・スノーデン氏によって暴露された文書群は、NSA(米国家安全保障局)が 暗号標準そのものに影響を与えようとしていた疑惑(BULLRUNと呼ばれる計画に 関する報道)を含んでいました。特に注目されたのは、NISTが標準化していた擬似乱数生成器 Dual_EC_DRBGです。2007年の時点で既に、この生成器の内部パラメータに 特定の関係が成り立てば出力を予測できる可能性が研究者から指摘されていましたが、 スノーデン文書の報道後、NSAがこの弱点を意図的に埋め込んだ可能性があるという疑いが 強まりました。NISTは2014年にDual_EC_DRBGを標準から削除しています。
なぜこれが暗号資産の利用者にとって重要なのか
ビットコインをはじめとする暗号資産の利用者の多くは、ハッシュ関数や署名アルゴリズムの 数学的な仕組みを理解しないまま、実際の資産をそこに置いています。これは必ずしも 利用者の不注意というより、暗号資産の設計自体が「中身を理解しなくても使える」ことを 売りにしてきた結果でもあります。しかし、理解していないことは、リスクが存在しないことを 意味しません。少なくとも次の点は、暗号技術そのものへの理解とは別に、利用者自身が 管理すべき現実的なリスクです。
- 秘密鍵の管理リスク: 秘密鍵を失えば資産へのアクセス手段も失われ、原理的に復旧できません。
- 取引所・ウォレットサービスのセキュリティリスク: 暗号技術自体が健全でも、預け先の実装・運用に脆弱性があれば資産は失われます。
- 将来の暗号技術陳腐化リスク: 現在使われているアルゴリズムが将来解読された場合、置き換え(マイグレーション)の実務コストは利用者にも及びます。
ステーブルコイン特有のリスク——裏付け資産の透明性
ステーブルコインは、暗号技術のリスクに加えて、裏付け資産(価値の担保)の透明性・実在性 という別種のリスクを抱えています。2022年5月、アルゴリズム型ステーブルコイン TerraUSD(UST)は、価格を維持する仕組みそのものが破綻し、 関連するLunaトークンとともに価値がほぼゼロになりました。また、資産裏付け型の 大手ステーブルコインについても、裏付け資産の内容や監査の透明性を巡って、 規制当局からの指摘や和解の事例が報じられています。2023年3月には、資産裏付けが 健全とされていたUSDCが、裏付け資産の一部を預けていた銀行の経営破綻の影響で 一時的に1ドルから乖離する事態も起きました。
暗号資産・ステーブルコインと、それを悪用した匿名犯罪インフラの関係については、 別記事でより詳しく扱っています。
まとめ
- MD5・SHA-1は、それぞれ2004年・2005年に理論的な弱点が指摘され、2017年にはSHA-1の実用的な衝突攻撃(SHAttered)が公開された
- ビットコインはSHA-1ではなくSHA-256・RIPEMD-160・ECDSA(secp256k1)を使用しており、SHA-1の解読史がそのまま直接のリスクになるわけではない
- 持ち帰るべき教訓は個別アルゴリズムの話ではなく、暗号技術の安全性は永続的に保証されたものではないという一般的な姿勢である
- 2013年のスノーデン告発は、国家機関が暗号標準の策定に介入しようとした事例(Dual_EC_DRBG)を明らかにした。ビットコインとは無関係だが、標準化された暗号への無条件の信頼に対する警鐘として重要である
- 暗号資産の利用者にとって現実的なリスクは、秘密鍵管理・取引所のセキュリティ・将来の暗号技術陳腐化の3つに整理できる
- ステーブルコインは暗号技術のリスクに加え、裏付け資産の透明性リスクを抱える(TerraUSDの破綻、USDCの一時的なデペグなど)